好きなことを仕事にできたら、
毎日が楽しくて仕方ないんだろうな。
昔は、そんなふうに思っていました。
実際、写真やビデオを仕事にできるようになってからの日々は、本当に楽しかったです。
下積みの時期も、教わる時間も、独立した瞬間も、今でもよく覚えています。
ただ、ある頃から
休みの日にカメラを触らなくなりました。
今日は、その話です。

趣味だった頃は、撮りたいものだけ撮っていた
時間もテーマも、すべて自分の自由だった
趣味でカメラをやっていた頃は、本当に気楽でした。
- 風景
- お祭り
- 家族
- 特に意味のない写真
誰に頼まれたわけでもなく、
誰に見せるわけでもない。
「撮りたいから撮る」
それだけでした。
上手い下手より、シャッターを切ること自体が好きだった
失敗写真なんて気にしない。
データ整理も後回し。
今思えば、
あの頃はずいぶん贅沢な時間を使っていたなと思います。

仕事になった瞬間、カメラの意味が変わった
撮らなきゃいけない写真が増えた
仕事になると、当然ですが状況が変わります。
- クライアントが求める写真
- 失敗できない現場
- その場限りの一瞬
「好き」よりも
「求められているもの」が先に来ます。
撮影=責任、という感覚
楽しくないわけではありません。
むしろ、やりがいはあります。
ただ、
シャッターの重みが違う。
撮影=責任
そんな感覚が、いつの間にか当たり前になっていました。
休みの日に、カメラを持たなくなった理由
持つと、仕事スイッチが入ってしまう
休みの日にカメラを持つと、
無意識に仕事モードになります。
- 光を読む
- 構図を考える
- 使えるかどうか判断する
気が抜けない。
「今日は休みなのに」
と思いながら、頭はずっと動いていました。
撮らない=逃げ、だと思っていた
それでも最初は、
カメラを触らない自分に違和感がありました。
- 好きだったはずなのに
- 情熱が冷めたのか
- 仕事に慣れただけなのか
少しだけ、罪悪感もありました。
それでも「撮らない日」は必要だった
頭を空っぽにする時間が、結果的に仕事を助けた
ある時、
思い切って何もしない日を作りました。
カメラも触らない。
写真も見ない。
最初は落ち着かなかったですが、
しばらくすると気づきました。
「結構、疲れてたんだな」と。
距離を置いたから、見えたもの
距離を置いたことで、
- 仕事の見え方
- カメラとの関係
- 自分のペース
が、少しずつ整理されていきました。
好きなことを仕事にした人ほど、離れる時間が必要かもしれない
ずっと好きでいるための距離感
毎日触らなくてもいい。
無理に情熱を保たなくてもいい。
戻りたくなったら、戻ればいい。
そう思えたことで、
気持ちがずいぶん楽になりました。
撮らない日があるから、また撮りたくなる
不思議なもので、
撮らない日が続くと、ふと
「また撮りたいな」
と思う瞬間が来ます。
それでいいんだと思います。
カメラを置いて出かけても、何も失わなかった
むしろ、余白ができた
カメラを置いたからこそ、
- 集中力が戻った
- 現場での判断が早くなった
- 仕事に余裕が出た
そんな感覚があります。
まとめ|撮らない時間も、写真の一部だった
好きなことを仕事にしたからこそ、
撮らない選択も必要だったのかもしれません。
毎日カメラを触らなくてもいい。
休みの日は、何もしなくてもいい。
それでも、
また撮りたくなった時に戻れる。
今は、そんな距離感で
写真と向き合っています。




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